今年のお盆(正確にはお盆直前)は、なんだか面白いことになっていました。
一年前、祖父が亡くなったので今年は一周忌でした。わたしは祖父の葬式も出てなければ、一周忌も出なかった。帰る予定ではいたのだけど、帰省当日になって、理由なくドタキャンしました。
期間をずらして、今はもう離婚した元夫の岡田哲也とじゅんせーが、わたしの実家に帰省した。
岡田の青森での様子はこちら↓↓
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これもウケた
↓↓じゅんせーに付き合ってくれるレンくんのつまらなさそうな顔


おもしろかったのですよ。
そしてありがたかったのですよ。
そもそも、わたし勝手な妊娠で、父親になると名乗りをあげてくれて、離婚して子どもをひきとったあげく、わたし不在でもわたしの実家に帰ってくれる。それも、わたしが帰らないから、帰ってくれたんじゃなくて、元々のスケジュール。
婚姻中も、岡田の実家にはわたしは行かなくなって、岡田はじゅんせー連れて帰省してくれた。
岡田のご両親はわたしのことをどんな嫁だと思ってたんだろう?わたしの母親はわたしのことをどんな娘だと思ってるんだろう?
そこに興味が持てないから、よーく考えたことはないかもしれない。忘れてるだけかもしれない。
わたしの妹のブログ記事です↓↓
祖父のことが書かれています。
ちょっと泣けた





わたしの中にはひとつの達成があります。それは、祖父母が生きている間に子供を産むこと。おまけに結婚もできたので、ありがたかった。
祖母には、じゅんせーの出生の秘密は全部伝えた。祖父はなにも知らないで亡くなった。でも、みんな元気だから大したことではない。岡田家は普通に結婚して、普通に子供を産んだように見える。
そうでなくとも、祖父は絶対受け入れる。大家族をつくってきた人だもの。普通のレールをあからさまに外れる親族は何人か出没する。
もう、なにも正しくないから、何してもいいから、とにかく元気でいてくれたらそれでいい。と、祖父からもらった言葉。
ありえない子供の産み方をしたけれど、産まれたじゅんせーは、お腹の中にいた感じのまんま、逞しさに溢れて産まれた。
生後1日でこんな顔だった↓↓
母乳も上手に吸ってくれて、なにもかも全部知ってた。だからわたし、この子から護られるのだと思いました。この先もずっと。
今はね「可愛い、可愛い」って言う子育てしか知らない、なんだかすごい美味しい立場。
先日、フィアンセと親について話題になった。親は子供から嫌われないといけないと思うし、子供が親を嫌うのは動物として正常。そうじゃないと、家を出ていかない。
というよな話をしたのだけれど、そういえば、じゅんせーはもう家を出ていった。嫌われる前に出ていった。
そしてたまに会えば「可愛い、可愛い」と撫でまわし、やっぱり美味しい立場。ま、母親としてはね。
子育てで頭を抱えることはない。どんなに批判されようが、母親としてのわたしは鉄板級に穏やかです。
可愛い子が産まれ、善き元夫に恵まれ、両家実家のじゅんせーに対する応援体制、じゅんせーの子育てコミュニティーにと...
こうなると、はるちゃんは子育てしてる場合じゃないから、子育てはまかせて、思う存分やりたいことやって❗っていうメッセージを受けとるんです。
わたしもっと活躍したいのです。
どんな活躍??未だ、煮え切らない想いを抱えてる人にも、もう既に幸せな人にも、世間の「実はここ、もっと自由にカスタマイズできるんですよ」というライフスタイルの部分と、わたしのやりたいこと&できることの焦点を繋げて、子宮委員長はるの生き方、シナリオが決まります。
最も効率的で戦略的な方法を、わたしは無意識・無自覚で選んでてね。それを、“子宮に委ねる”と言ったりしてますが、これは考えなくても体が勝手に自動操縦状態。
一貫性がないように思えて、後から後からストーリーがつながってゆく。
そしてわたしは公人の役割があるかと思ってます。そうでなかったら、例えば、将来映画になるであろう、車椅子の元彼と出会ってなかったよね。生きている間に映画になった知り合いが居ない

だから常に常に見せていくし、それが心の恥部であろうと、体の陰部であろうと、世の中の役に立てるのなら喜んで差し出すよ。それがきっとこの先ずっと続く。だから、意味があってまだ若いと思う。
25歳からこのブログを始めて、今まだ31歳。どう転んだって、わたしには豊穣と繁栄しかないのなら、批判されることしてみたいよね。
それ、祖父のDNA。
祖母のところへ婿養子。体力はあるけど学問がない。子どもも次々産まれる。学はないけど、人の心は読める。家族を守るために勝負できる。
今、自分の幸せのためだけ(邪念とっぱらうという意味で)に生きるようになって、初めてわかることがある。
わたしは、田舎の農家の大家族に産まれたことが恥ずかしかった時期がある。イケてないって。でも、今はかっこいいと思ってる。
血液に、DNAに感謝してるし、受け継ぐものってそれだけじゃない。産まれたわたしを抱っこしてくれた人、出会ってくれた人、セッ☆クスしてくれたたくさんの他人の祈りでわたしはできている。
わたしは自分が大好き。愛してる。だとしたら、なんだかんだ言って母親も含め、今まで出会った人全員を大好きってことになる。
それが一番の先祖供養かなって思います。お墓参りすることと、自分を好きになる旅をすることは同じだと思ってます✨
話は変わりますが、リュウ博士が、こんな記事を書いてました↓↓
これ、結婚だけじゃなくていろんなことに繋がるよね。今、自由に生きれてたら結婚しても子供を産んでも、離婚しても、再婚しても、変わらないし、つまり、何を選択しても変わらない。
だから、他人の言葉で自由を奪われることを、自分で許可するなよなって話で、この世に他人に奪われる物事なんて、実はひとつもないんだよね。
じゅんせーにゲームを奪われてイジけた兄貴↓