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自分チの家紋って
日本人なら誰でも
知っているんでしょうか(;^_^A
小野家(夫方)のご先祖様の
お墓参りにいった際、
娘がお墓の家紋を見て、
梅だね~可愛い
とハシャイでいたのに、
夫が一言。
「梅家一家と同じ紋だよ。」
・・・おいおい、
夢を壊すようなことを。
でも娘たちは梅家一家なんて
知りもしません(笑)
梅家って?暴力○って???
と素直な疑問を投げかけていました。
ちなみに小野家の家紋は
、
私の実家の紋は、
八車の『源氏車』です。
源氏車の家紋は、
藤原氏と榊原氏の代表紋みたいですね。
家紋のルーツなんて
今まで氣にも止めてませんでしたが、
娘に説明をするためにも
ちょっとググってみました。
実家は『佐藤』という名字です。
言わずと知れた
全国ダントツ1位で多い名字。
しかし源氏車は、全国では
それほど普及している紋ではないとか。
『』から
一部転載します。
>ここから
車紋を用いた家紋として
代表的なのが佐藤氏である。
佐藤氏は藤原氏秀郷流で、
先祖が左衛門尉に任じたことから佐藤を、
あるいは佐野に住んで佐藤を称したともいう。
その後、
伊勢国一志郡の榊原に住み、
それを名字とした一族が榊原氏となった。
以後、
伊勢には佐藤氏、榊原氏が繁衍し、
伊勢外宮の宮方を努め
大神宮奉献の任務を記念して、
その車の輪を家紋にしたのだという。
やがて、
伊勢信仰が広まるとともに、
佐藤氏は神官・御師として諸国に分散し、
その車輪紋の全国的に広まり、
佐藤を姓とする家々の代表紋となった。
いま、佐藤氏で
車輪紋以外の家紋を用いられる家は、
伊勢の佐藤氏とは別の流れと考えられる。
また、
佐藤氏は東北に広く分布し、
源義経に忠節を尽くした
佐藤継信・忠信兄弟が知られ、
その子孫を称する家が広まったのだという。
信夫の佐藤氏、
馬籠の佐藤氏などが知られ、
戦国大名に仕えて活躍した。
そして、
それら佐藤氏が使用した車紋が
東北地方に広く分布しているのである。
伊勢の榊原氏の一流が三河に移住し、
松平氏に仕えた。
その後裔に榊原康政が現われ、
徳川家康の四天王の一人に数えられ、
その家紋は源氏車であった。
ところが、
三河榊原氏は清和源氏を称している。
これは、
本来の藤原氏を徳川家と同じように、
清和源氏義家流に乗り換えたものであろう。
榊原氏の車輪紋は
とくに「榊原車」と呼ばれている。
>転載終了
ナルヘソ、ナルヘソ、
源氏車の紋は
義経さんとも関連がありましたか。
佐藤の起源は、
藤原氏から起こっているようですが、
奥州藤原氏時代に、
義経さんに忠節を尽くした佐藤兄弟は
伊勢の流れを汲むようですね。
佐藤家の菩提寺と言われる
医王寺(真言宗豊山派)には
八車の家紋が残されており、
藤原秀郷を祖とする
佐藤家の本流の紋が
源氏車であろうと思われます。
自分家の家紋、
ルーツを探ってみると
面白い発見があるかもしれませんね。
実家の菩提寺である
革秀寺の蓮の花が綺麗でした。
辺り一面、蓮の香りが心地よく、
身も心も癒された氣がします。
【】
青森県弘前市藤代1-4-1